今回はサブプライムローンの問題が深刻化した去年6月。
久方ぶり(?)に発行されたリチャード・クー氏の著書をご紹介いたしますよ。
とりあえず、リチャード・クー氏はどんな人か書いておく必要がある。
神戸市に生まれ、アメリカの大学を卒業。メーカーに就職後、大学院へ通いFRBのドクターフェローを経て、博士課程を修了。その後、ニューヨーク連邦準備銀行に入行し、エコノミストとして活躍。現在、野村総研に入社し、様々な本を書いている。
因みに、以上の解説は徳間書店より発行されている本書のプロフィールを参照した。
この本を読むにあたって、2点ほど知っておくとよい事があると私は思うので記載しておく。
1.クー氏は「ケインジアンに近い」スタンスを取っている。
(※正確にはケインジアン出ない。本人が主張している。)
2.日本のバブル崩壊頃から独自の不況論を展開している。
(※バブル崩壊後、「バランスシート不況」と呼ばれる状況が続くため、日本ではケインズ政策を実施しても効果がなかったとしている。また、ケインズは不況時に所謂、流動性の罠について明確な説明を成せなかったが、クー氏はその点においても説明をしているため彼自身自らケインジアンだとは言わないようである。)
以上の事は簡単に見ておくと、本書(タイトル参照)において理解度が高まると思われますよ。
まず、簡単に本書の概要などを述べる。
本書は4段階に分かれており、第一段階がサブプライムローン問題の流れと構造を日本のバブル崩壊後の状況と(データを使いながら)照らし合わせて解説をしている。特にアメリカ国内での状況や当時のウォール街の心理(証券トレーダー等のマインド)も説明している。
次の段階では、前段階の補足をしつつ持論の「バランスシート不況」である事を解説している事が最重要ポイントである。それに加えて、アメリカ国内から国外の問題として話を展開し、基軸通貨の座が危うい事も示唆している。一見話を次に広げるために国外の問題に触れてるように感じられるが、「アメリカの貿易赤字の隠れた危険性」を主張していると思われる。
第3段階は、日本でのバブル崩壊後の不況(彼はB/S不況だとすでに論じている。)から回復しているのかについて考え、日本企業の状況と企業マインドを彼の持論を用いて説明している。
最終段階では、日本が「追う立場」から「追われる立場」に移った事を1つの波の到来を告げるきっかけであることを示している。その波にの呑まれない為の人材の在り方を示している。そして、最後に日本人には理解出来ない「欧米人の常識」を説いて本書を終えている。
ここからは、各段階ごとにもう少しだけ本書の要所について私の言葉と考えを用いて説明しておきたい。
●第一段階●
サブプライムローン問題は「神話崩壊」であり信用の失墜である、将に「翼が溶けてしまったイカロス」の如し。地価が上がると言う「机上の空論の大前提」が崩壊し、ウォール街での神様とたたえられた天才グリーンスパンには「創造主からのお告げ」が聞こえなくなってしまったのだ。つまり、世界恐慌を例に大不況の研究をし、ある種確立された大恐慌予防のマスタープランが機能不全に陥ったのだ。そうなれば、いくら「ウォール街の神様」でも創造主が放った「住宅バブル(もしくは長期金利の無反応)と言う名のリヴァイアサン」にはかなわない。ここでは、「神様のお告げ」が「悪魔の囁き」に豹変したのだ。つまりは、金利を上げて住宅価格のインフレを抑え込もうとしたが、何故か長期金利が上がらず、いくら上げてもインフレが続くと言うグリーンスパンにとって想定街の出来事が発端となり、転げ落ちれば将に刹那の如き、株価が急転直下した。
●第二段階●
この章で最も重要な論が「B/S不況」である。ここでは、ITバブル頃からの住宅バブルの話やバーナンキFRB議長の理論の誤りを指摘しながらも、グリーンスパンの失政をも指摘している。前段階から引き続き、米国のディナイアルやこれまでの金融危機の歴史に潜む問題も記述されている。そして、次段階へと移るためにも、欧州住宅バブルとの関連性を追求している。
そして、基軸通貨としての問題を取り上げているが、本質は「アメリカの貿易赤字に潜む危機」にあるのではないかと読んでいて感じられた。つまり、アメリカだけが堕ちたところで問題はないが、貿易赤字による他国への債務が大きく残っているので、下手をすれば債務不履行が起こると言うイメージの問題である。ここでは「アジアへの通貨切り上げ」と言う話をしている。この事は大変重要である。オバマ新大統領の就任直後が大変危険だ。なぜなら、仮にも本書の予測が的中すれば、アジアに通貨切り上げを要求している事になり、実際にはドルの価値を下げる行為、つまりは『デノミネーション』の実施と同意義を持つのだ。
一つ例題を出す。
120円=1ドルの時にアメリカの日本への債務を1000ドルとしよう。
すると、ドル決済なのでドル支払いでしか対応できないですね。つまり、日本は120,000円を債権としてもっているのです。しかし、ここで「円切り上げ」の圧力若しくは、米国でデノミが起こり、
50円=1ドルになった。
すると、日本の持つ債権はどうなるであろうか?
1000ドル相当の債権、つまりは50,000円しか回収できないのだ。
これは『債務の帳消し』を相手が勝手に実施した事になる。このような壮大な危険をアメリカ一国に赤字と言う形で持たせてしまったのです。
●第三段階●
バブル期に「儲かる」と言う理由から、借金をしてまで資産(不動産)購入をしていたがバブル崩壊後
は資産価格が下がり、資産より負債の方が大きくなり倒産するはずである。つまり、B/Sがアンバランスになってしまうと言う事である。
しかし、日本ではそうはならなかったのだ。その大きな理由としてクー氏は、貿易黒字を上げている。というのも、価格の割に製品がよく、「メイド・イン・ジャパン」は競争力が高かった。だから、負債を抱えていても本業があったから、キャッシュフローを使って借金返済を行う事が出来た。これにより日本では倒産はあったけれども、企業は大不況を乗り切ってきた。つまり、「バブル崩壊≠倒産」とはならず、ミクロベースでは危機を回避したのである。
だが、マクロベースでは、合成の誤謬が発生した。なぜなら、ミクロベースでは企業が借金返済をし、貯蓄好きの家庭部門も預金をたくさんする事により、銀行にお金が集まったためである。景気と言うのはスパイラル構造によって成り立っており、所得循環のスパイラルから漏れ出た(銀行に集まった)お金は有効需要から漏れる。つまり、有効需要が家計の貯蓄と企業の借金返済の分だけ年々有効需要が減少し、合成の誤謬を発生させた。これが日本経済をデフレに押しやった原因である。加えてこの事態が「ゼロ金利」政策下で起こっていた事も問題なのだと指摘している。
このような悲劇に見舞われた日本では1500兆円の国富が失われた。しかし、実際には日本のGDPは激減しなかった。むしろ、バブル崩壊後も緩やかにではあるが増加しているのだ。では、いったい誰が支出をしてGDPを下支えしたのか。それは、政府が銀行で滞留するお金を使ったからである。
普通は政府がお金を使うより、民間が使った方が経済効率は高い為に「財政赤字は悪だ」と言われてしまう。それ以外にも、財政赤字の穴埋めのために民間貯蓄の吸い上げが起こり、金利上昇が起こってしまう。そうなると、民間がお金を借りら寝ないと言う「クラウディング・アウト」に陥ってしまう。しかし、B/S不況では、この大前提が逆転してしまうのである。政府の支出が減れば、民間はお金を返すばかりで借り無いから、借手の不在に陥ってしまう。そうなると、その使われないお金の額だけ所得循環から漏れるため、GDPの減少を招くのである。特に経済を支える部分での政府の支出が減るとより一層景気の悪化を招くに違いない。
バラマキの公共事業をしたがる自民党が与党であった事が幸か不幸か、GDPをした下支えする要因になったと言うのである。その結果、累積財政赤字が膨らんでしまったが、日本が深刻なデフレスパイラルに陥らず、GDPを下げなくて済んだと言う点を踏まえれば、「財政出動」と言うものを一辺倒に否定し、過小評価しすぎるべきでは無いと指摘している。
●最終段階●
最終段階では、直面しているグローバリゼーションの波の乗り越え方を考えている。日本が抱える問題としてのグローバリゼーションには、世界的な経済動向の要素と歴史的な要素と言う2つの要素からなっているのではないかと読者の私は感じた。
最終章でクー氏は、日本のグローバリゼーションは「中国の台頭」であるとしている。日本は戦後、アメリカの技術を輸入し改良して、世界各国の工業製品と肩を並べるぎらいにまで競争力が高まって来た。このとき日本はひたする「追う立場」にあった。「追いつけ追い越せ」という活気が在った。一方の欧米諸国は「追われる側の立場」である。彼らには、いかにして追いつかれない様にし、追い越されない様な物を作り出していけるかが問われていたのだ。その追われる側にいた時期に、アメリカではロックフェラー財団などによる教育への投資が行われるようになった。そして、この頃に教育を受けたのが、まさしくマイクロソフトの生みの親やアイポッドを世に送り出した人物のたちであった。つまり、独創性のある人材が育てられ、新たな価値を生むことで後者を振り切る事が考えられたのである。ひいては「創造する事が出来る者」が勝てる仕組みが完成したのだ。
日本はまさに「追われる側の立場」にまで到達したのだ。次は自ら創造していかなくてはならなくなった。しかし、日本はどうであろうか。「質」より「量」でついこの間まで戦っていた日本では、人と違う事は間違いであると言うような独特のニューマを持っており、「出る杭は打たれる」という諺にあるように、違いを認めないのである。常に「その考え方はありうるのか?」と言う疑問を持ち続け、発展させることが出来れば道は開けるのである。今の日本にはいくつかの問題点があるが、「教育」と言う者のあり方を考え直す必要もあるのだ。
この本の最終章を読んでいると、ある種「リベラル」な考え方と言うべきであろうか、伝統主義からの脱却も時に必要なのだと読んだ。私はこの部分を読んでいて、小室直樹氏が「悪しき伝統は打破せねばならない」と言う趣旨の文章を本の中で書いていたのをふと思い出した。時として、伝統を疑い、新しい事へ挑戦することこそ飛躍への第一歩だと思う。
個人的な事になりますが、クー氏の著書である「デフレとバランスシート 不況の経済学」と言う本を次は読んでみたいと思っております。いずれ書評をアップできればと思っております。
久方ぶり(?)に発行されたリチャード・クー氏の著書をご紹介いたしますよ。
とりあえず、リチャード・クー氏はどんな人か書いておく必要がある。
神戸市に生まれ、アメリカの大学を卒業。メーカーに就職後、大学院へ通いFRBのドクターフェローを経て、博士課程を修了。その後、ニューヨーク連邦準備銀行に入行し、エコノミストとして活躍。現在、野村総研に入社し、様々な本を書いている。
因みに、以上の解説は徳間書店より発行されている本書のプロフィールを参照した。
この本を読むにあたって、2点ほど知っておくとよい事があると私は思うので記載しておく。
1.クー氏は「ケインジアンに近い」スタンスを取っている。
(※正確にはケインジアン出ない。本人が主張している。)
2.日本のバブル崩壊頃から独自の不況論を展開している。
(※バブル崩壊後、「バランスシート不況」と呼ばれる状況が続くため、日本ではケインズ政策を実施しても効果がなかったとしている。また、ケインズは不況時に所謂、流動性の罠について明確な説明を成せなかったが、クー氏はその点においても説明をしているため彼自身自らケインジアンだとは言わないようである。)
以上の事は簡単に見ておくと、本書(タイトル参照)において理解度が高まると思われますよ。
まず、簡単に本書の概要などを述べる。
本書は4段階に分かれており、第一段階がサブプライムローン問題の流れと構造を日本のバブル崩壊後の状況と(データを使いながら)照らし合わせて解説をしている。特にアメリカ国内での状況や当時のウォール街の心理(証券トレーダー等のマインド)も説明している。
次の段階では、前段階の補足をしつつ持論の「バランスシート不況」である事を解説している事が最重要ポイントである。それに加えて、アメリカ国内から国外の問題として話を展開し、基軸通貨の座が危うい事も示唆している。一見話を次に広げるために国外の問題に触れてるように感じられるが、「アメリカの貿易赤字の隠れた危険性」を主張していると思われる。
第3段階は、日本でのバブル崩壊後の不況(彼はB/S不況だとすでに論じている。)から回復しているのかについて考え、日本企業の状況と企業マインドを彼の持論を用いて説明している。
最終段階では、日本が「追う立場」から「追われる立場」に移った事を1つの波の到来を告げるきっかけであることを示している。その波にの呑まれない為の人材の在り方を示している。そして、最後に日本人には理解出来ない「欧米人の常識」を説いて本書を終えている。
ここからは、各段階ごとにもう少しだけ本書の要所について私の言葉と考えを用いて説明しておきたい。
●第一段階●
サブプライムローン問題は「神話崩壊」であり信用の失墜である、将に「翼が溶けてしまったイカロス」の如し。地価が上がると言う「机上の空論の大前提」が崩壊し、ウォール街での神様とたたえられた天才グリーンスパンには「創造主からのお告げ」が聞こえなくなってしまったのだ。つまり、世界恐慌を例に大不況の研究をし、ある種確立された大恐慌予防のマスタープランが機能不全に陥ったのだ。そうなれば、いくら「ウォール街の神様」でも創造主が放った「住宅バブル(もしくは長期金利の無反応)と言う名のリヴァイアサン」にはかなわない。ここでは、「神様のお告げ」が「悪魔の囁き」に豹変したのだ。つまりは、金利を上げて住宅価格のインフレを抑え込もうとしたが、何故か長期金利が上がらず、いくら上げてもインフレが続くと言うグリーンスパンにとって想定街の出来事が発端となり、転げ落ちれば将に刹那の如き、株価が急転直下した。
●第二段階●
この章で最も重要な論が「B/S不況」である。ここでは、ITバブル頃からの住宅バブルの話やバーナンキFRB議長の理論の誤りを指摘しながらも、グリーンスパンの失政をも指摘している。前段階から引き続き、米国のディナイアルやこれまでの金融危機の歴史に潜む問題も記述されている。そして、次段階へと移るためにも、欧州住宅バブルとの関連性を追求している。
そして、基軸通貨としての問題を取り上げているが、本質は「アメリカの貿易赤字に潜む危機」にあるのではないかと読んでいて感じられた。つまり、アメリカだけが堕ちたところで問題はないが、貿易赤字による他国への債務が大きく残っているので、下手をすれば債務不履行が起こると言うイメージの問題である。ここでは「アジアへの通貨切り上げ」と言う話をしている。この事は大変重要である。オバマ新大統領の就任直後が大変危険だ。なぜなら、仮にも本書の予測が的中すれば、アジアに通貨切り上げを要求している事になり、実際にはドルの価値を下げる行為、つまりは『デノミネーション』の実施と同意義を持つのだ。
一つ例題を出す。
120円=1ドルの時にアメリカの日本への債務を1000ドルとしよう。
すると、ドル決済なのでドル支払いでしか対応できないですね。つまり、日本は120,000円を債権としてもっているのです。しかし、ここで「円切り上げ」の圧力若しくは、米国でデノミが起こり、
50円=1ドルになった。
すると、日本の持つ債権はどうなるであろうか?
1000ドル相当の債権、つまりは50,000円しか回収できないのだ。
これは『債務の帳消し』を相手が勝手に実施した事になる。このような壮大な危険をアメリカ一国に赤字と言う形で持たせてしまったのです。
●第三段階●
バブル期に「儲かる」と言う理由から、借金をしてまで資産(不動産)購入をしていたがバブル崩壊後
は資産価格が下がり、資産より負債の方が大きくなり倒産するはずである。つまり、B/Sがアンバランスになってしまうと言う事である。
しかし、日本ではそうはならなかったのだ。その大きな理由としてクー氏は、貿易黒字を上げている。というのも、価格の割に製品がよく、「メイド・イン・ジャパン」は競争力が高かった。だから、負債を抱えていても本業があったから、キャッシュフローを使って借金返済を行う事が出来た。これにより日本では倒産はあったけれども、企業は大不況を乗り切ってきた。つまり、「バブル崩壊≠倒産」とはならず、ミクロベースでは危機を回避したのである。
だが、マクロベースでは、合成の誤謬が発生した。なぜなら、ミクロベースでは企業が借金返済をし、貯蓄好きの家庭部門も預金をたくさんする事により、銀行にお金が集まったためである。景気と言うのはスパイラル構造によって成り立っており、所得循環のスパイラルから漏れ出た(銀行に集まった)お金は有効需要から漏れる。つまり、有効需要が家計の貯蓄と企業の借金返済の分だけ年々有効需要が減少し、合成の誤謬を発生させた。これが日本経済をデフレに押しやった原因である。加えてこの事態が「ゼロ金利」政策下で起こっていた事も問題なのだと指摘している。
このような悲劇に見舞われた日本では1500兆円の国富が失われた。しかし、実際には日本のGDPは激減しなかった。むしろ、バブル崩壊後も緩やかにではあるが増加しているのだ。では、いったい誰が支出をしてGDPを下支えしたのか。それは、政府が銀行で滞留するお金を使ったからである。
普通は政府がお金を使うより、民間が使った方が経済効率は高い為に「財政赤字は悪だ」と言われてしまう。それ以外にも、財政赤字の穴埋めのために民間貯蓄の吸い上げが起こり、金利上昇が起こってしまう。そうなると、民間がお金を借りら寝ないと言う「クラウディング・アウト」に陥ってしまう。しかし、B/S不況では、この大前提が逆転してしまうのである。政府の支出が減れば、民間はお金を返すばかりで借り無いから、借手の不在に陥ってしまう。そうなると、その使われないお金の額だけ所得循環から漏れるため、GDPの減少を招くのである。特に経済を支える部分での政府の支出が減るとより一層景気の悪化を招くに違いない。
バラマキの公共事業をしたがる自民党が与党であった事が幸か不幸か、GDPをした下支えする要因になったと言うのである。その結果、累積財政赤字が膨らんでしまったが、日本が深刻なデフレスパイラルに陥らず、GDPを下げなくて済んだと言う点を踏まえれば、「財政出動」と言うものを一辺倒に否定し、過小評価しすぎるべきでは無いと指摘している。
●最終段階●
最終段階では、直面しているグローバリゼーションの波の乗り越え方を考えている。日本が抱える問題としてのグローバリゼーションには、世界的な経済動向の要素と歴史的な要素と言う2つの要素からなっているのではないかと読者の私は感じた。
最終章でクー氏は、日本のグローバリゼーションは「中国の台頭」であるとしている。日本は戦後、アメリカの技術を輸入し改良して、世界各国の工業製品と肩を並べるぎらいにまで競争力が高まって来た。このとき日本はひたする「追う立場」にあった。「追いつけ追い越せ」という活気が在った。一方の欧米諸国は「追われる側の立場」である。彼らには、いかにして追いつかれない様にし、追い越されない様な物を作り出していけるかが問われていたのだ。その追われる側にいた時期に、アメリカではロックフェラー財団などによる教育への投資が行われるようになった。そして、この頃に教育を受けたのが、まさしくマイクロソフトの生みの親やアイポッドを世に送り出した人物のたちであった。つまり、独創性のある人材が育てられ、新たな価値を生むことで後者を振り切る事が考えられたのである。ひいては「創造する事が出来る者」が勝てる仕組みが完成したのだ。
日本はまさに「追われる側の立場」にまで到達したのだ。次は自ら創造していかなくてはならなくなった。しかし、日本はどうであろうか。「質」より「量」でついこの間まで戦っていた日本では、人と違う事は間違いであると言うような独特のニューマを持っており、「出る杭は打たれる」という諺にあるように、違いを認めないのである。常に「その考え方はありうるのか?」と言う疑問を持ち続け、発展させることが出来れば道は開けるのである。今の日本にはいくつかの問題点があるが、「教育」と言う者のあり方を考え直す必要もあるのだ。
この本の最終章を読んでいると、ある種「リベラル」な考え方と言うべきであろうか、伝統主義からの脱却も時に必要なのだと読んだ。私はこの部分を読んでいて、小室直樹氏が「悪しき伝統は打破せねばならない」と言う趣旨の文章を本の中で書いていたのをふと思い出した。時として、伝統を疑い、新しい事へ挑戦することこそ飛躍への第一歩だと思う。
個人的な事になりますが、クー氏の著書である「デフレとバランスシート 不況の経済学」と言う本を次は読んでみたいと思っております。いずれ書評をアップできればと思っております。
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